長谷川正徳のちょっといい話

第1話 「母なるもの」とのふれあい ―矢ガモはなにを教えたか―

「母なるもの」とのふれあい ―矢ガモはなにを教えたか― 挿絵

 背中に矢を打ち込まれたカモのニュースを日本中の人々が心を痛めてテレビでみた。
人間のあまりにも心ないふるまいによく耐えて、あちこち、とびあるくカモの姿は、まことに見るに忍びなく、ひたすら無事を祈ったことだった。
 それにしても、あのよう残虐な行いをした犯人は、少しは恥入ったであろうか。

 大脳生理学の教えるところによると、本能とか肉体をつかさどる脳の部分は、生まれたときからすでに活動を開始しているが、人間らしい知性や感情を(新しい大脳)は次第に発育し、ことに「母なるもの」とのよきふれ合いによって、人を愛するとか信頼するとかいう高等感情が育ってゆくという。
 このごろの母親たちには、赤ん坊を抱いたり、おんぶしたりする、そういう時間がまことに少ないように思われる。

 脳の細胞が母親の愛情にふれる、そのふれかたいかんによって、人生というものは、信頼と愛とかいう暖かいものが大切と受け取るか、信頼することも愛することも出来ない冷たいものと受け取るかが決まってしまうということを知る時、平気でカモの背中に矢を打ち込む無慈悲の延長線上に、平気で人を殺す残虐性があるというのは決して大ゲサな言い方ではなく、いまさらながら、母なるものの尊さと大切さを思わずにおれない。

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