長谷川正徳のちょっといい話

第8話 本当の親の愛はただ与えるだけ

本当の親の愛はただ与えるだけ 挿絵

 ほんとうの愛は相手からしるしを求めない。
ただ与えるだけである。
賢明な親は子供に愛を与えるだけである。
ところが今日でも、
「わしが苦労して働くのも。お前たちを養うためだ」
などという父親に出くわすことがある。

 親は子供に感謝を求める前に、親自身が子供に感謝すべきなのである。
子ゆえに働くはげみがあり、浮世の苦労も苦労ではなくなり、将来に望みを持つことができるのである。

徒然草第142段に、

心なしとみゆる者も、よき一言はいふものなり。
ある荒夷(あらえびす)のおそろしげなるが、かたへにあいて
「御子はおはすや」と問ひしに、
「一人も持ち侍らず」
と答へしかば
「さてはもののあはれは知る給はじ。情なき御心にぞものし給ふらむと、いとおそろし。
子ゆえにこそ、よろずのあはれは思い知らるれ。」
といひたりし、さもありぬべきことなり。
 恩愛の道ならでは、かかる者の心に慈悲ありなむや。
孝養の心なき者も、子持ちてこそ、親の志は思い知らるなれ

 このように子を持ってこそ、深い人間の心にふれることができるのであって、古今を問わず人間の心情に変わりがない。
親となることができたのも、わが子が生まれてきたためである。
このように感謝とか愛情というものは、相互的なものである。

 子を持つことによって知り得た人間性の深さに対して、感謝することのできない親からは、親に感謝をささげるよい子どもは育たないであろう。
 これが仏教の縁起思想に根差す真の恩愛の道理である。

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