長谷川正徳のちょっといい話

第10話 十二月八日は釈尊成道の聖日

十二月八日は釈尊成道の聖日 挿絵

 十二月のことを昔から「シハス」といいます。
これを師走、四極、極月などと書きます。

 新井白石(江戸中期の儒者・政治家)の説によりますと、シハスのシはトシ(年)ということばの転じたものであり、ハスとはハツ(果つ)つまりものの終わりをいうのであるから、年の終わりをさしてシハスというようになったというのであります。

 十二月ともなれば、「三界の大導師である僧侶までが、東西に走りまわる多望のときであるから師走月という」と、『奥義抄』(藤原清輔著の和歌の研究書)という古い本に書かれています。
 また、一年の終わりであるから、万事を「為果(しは)つる月」との意味で名づけたという説もあります。

 仏教徒にとって、この十二月の八日という日は忘れてはならない聖日なのであります。

 釈尊が、人生の苦しみや悩みを解決しようとなされて出家し、いろいろ苦行のあげく、そのむなしいことをさとり、伽耶城郊外の菩提樹のもとで静かな禅定(宗教的な瞑想)に入られ、ついに本当の智恵を体得されて、いわゆる成道の大事をなしとげられました。
つまり悟りを得たのです。
それがこの十二月八日なのであります。

 仏教の一番大事なところは、人間の運命をつくるものは、あくまでも自分自身の行為である、それ以外に人間の運命を支配する神秘的なものなどない、ということなのであります。
自分の運命は自分の行為によってつくられるとするところから、必然的に、宇宙や人生をつらぬく理性を見出し、その理法にかなった行いを実践することが求められます。

 真理を説き、真理のままに生きることを教える宗教、それが仏教なのであります。
つまり仏教とは悟りの宗教なのであります。

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