長谷川正徳のちょっといい話

第40話 生命は決して「モノ」ではない

生命は決して「モノ」ではない 挿絵

 アメリカでヒヒから肝臓移植を受けた男性患者が手術後71日目に死亡したという出来事があった。
私共仏教徒にとって、これはきわめて不愉快なニュースであり、やり切れなさを痛感させられた。

 まず第一に、仏教の教えるところは、人間の生命もヒヒの生命も同様に尊厳であって、こんな形で動物を平気で殺すことは怖るべき罪業である。
それはただちに人間生命の軽視につらなる。

 しかも、このレシピエント(臓器提供を受けた側)はエイズ感染者であったという。
エイズ感染者が完全に実験材料として使われているのである。
こうなると患者も実験材料、つまり全くの物であり、ヒヒの命も実験材料としての物である。
生命の「物視」も極まれりというべきである。

 生命は決してモノではない。
その証拠の一つに拒絶反応ということがある。
これは母と子、父と子という間柄でも必ず起こる。
この拒絶反応こそ、人間の体が単なる機械の部品の集合ではなく、それ自身、心(精神)を持った存在なのである。
心をもった身体は別の心をもった身体が自己の体に入ってくることに強い拒絶反応を覚えるのであろう。
拒絶反応を抑えるため、免疫抑制剤が使われるが、そうするとひどい感染症にかかる。
この事実は精神を見失った人間に対して、個別生命の尊厳さを訴える自然の警告と受け取るべきである。

 精神を持った体は決して機械の部品ではない。
仏さまの命を宿した体なのである。

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