長谷川正徳のちょっといい話

第44話 人間性の真実を受けとめるしつけと教育を

人間性の真実を受けとめるしつけと教育を 挿絵

 このごろ、私の近くで国立大学に通っていた秀才が、思いがけない非行と犯罪を犯して、退学の止むなきに至り、近隣を驚かせた。
考えてみると、今の親や教育者たちは、大脳の新しい皮質のほうに、職業人となるためのおびただしい知能を詰め込むことに忙しく、動物的、本能的なエネルギーをどうやって、人間的で高等なエネルギーに、ふりかえていくかという教育を全く省みる暇がない。
頭のよいと思われる学生がとんでもない非行を犯す理由の一つがここにあろう。

 若い人たちの大脳の古い皮質の中で、渦まいている本能的なエネルギーは、それが動物的であるという理由によっていちがいに否定されるべきものではなく、人間がたくましく生きていくための原動力となるものである。
 「悪に強いものは善にも強い」というが、逞しい生命力をはぐくむとともに、それをより高い目標に向かって、活用できるようにしむけるところに、しつけとか教育の真の役割があるわけだ。
ここにおいて、宗教教育の大切さに思いいたる。

 宗教によって人間は、人間性の真実を知るものとなる。
宗教は全身全霊で真実をつかむ道である。
「近代人の一番の欠点は抽象化である」といった哲学者があるが、確かにそうだ。
何かを言葉だけで理解することによって、人生の真実を会得できたような、自己満足に陥っているのが近代人の大きな欠点である。
全身全霊で人間性の真実に迫る宗教と宗教にもとづくしつけや教育がさかんにならなければならぬ。
それでなければ、人間として生きるための一番必要な知恵は教えられない。

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