長谷川正徳のちょっといい話

第49話 そんなことをすると罰があたる

そんなことをすると罰があたる 挿絵

 ある隠居のご老人が言いました。

「この頃飛行機が落ちたり、バスがひっくり返ったり、悪いことばかりつづく。
みんな人間が悪いから罰があたっとるんじゃ。」

すると、その老妻のお婆さんが

「そうじゃのう、お経の中にある末法の世の中じゃのう」

とあいづちを打ちました。
すると孫の大学生が

「お爺ちゃん、そうじゃないよ、何もかもな、政治が悪いんだよ。」

 こういう会話はいたるところで見られますが、老人夫婦の言っているのは、「心がけが悪いと悪いことに遭う。」とか「そんなことをすると罰があたる」という命題なのですが、多くの現代人は心がけが悪いこととよくないこととの間にどういう必然関係があるのかと尋ねてきます。
つまり、罰などというものがあるのなら見せてみろという実証の立場、実見の立場に立っているのです。
それでは、この老人の言っている命題のもつ特有の構造は分からないのです。

 罰があたるという「こと」に眼をつけて、それを尋ねているのでは、この言葉は分からないでしょう。
それはことがらとして「外」に見るべき真理ではないのです。
おのれ自身の生き方、つまり「立体的真理」仏教の智恵に関するものなのであります。
おもえば、罰があたるという事実よりもそういう「感じ方」が深い意味を持つのです。
本当の感情のもつ必然性は論理=理屈の必然の上にあるのです。

そういう感じ方で事柄をみてゆけば、好ましくない凶事というものは、罰のあらわれとなって、それは決して迷妄でも、不真理でもないのであります。

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