長谷川正徳のちょっといい話

第54話 幸福には前にはなくいつも背後にある

幸福には前にはなくいつも背後にある 挿絵

 昔、あるところに一本のローソクの灯があった。

それがある時、光というものは大変明るいものだと聞いた。
「ああ、わしはその光なるものにめぐり逢いたい。
わしの周囲はどちらを向いても闇ばかりだ」
こういって、灯は光を探し求めて歩き廻った。
が、どこにも光なるものを見つけることはできなかった。

だんだんと灯は燃え尽くして、いまや消えかかろうとした。
そしてゆらめきだした。
そこへ、一陣の風が吹いてきて、あわや灯は消えようとした。
その刹那「あっ、わしが光りであった!」と叫んだ。

そして消えた。

こういう寓話があります。

 光はどこにあるかと探し求めていた自分自身が実は光そのものであったのです。
誠に私どもは日夜に光りを求めて歩きまわっています。
幸福を探しまわっています。
しかしそのように直接に、まともに追い求めていてはいつまでたってもつかむことはできないのです。
 光を、幸福を探し求めることを止めるとき、その刹那、自分自身が光りであり、幸福そのものであったことがわかるのです。
幸福は即座に自分の足元にあったことを知るのであります。
 どんなに苦労多い世渡りでも、どんなに淋しい生活でも、そこに幸福と感謝とがじゅうぶんに感じられるのであります。

 不平に思ったのは自分の贅沢でした。
一日の生、これこそ大きな感謝でありました。
一日の生活、これこそ大きな恵みものの中に暮らした一日でありました。
わが力で得たのではない命を一日享受し、わが力で暮らせたのではない一日を送ったこと、これ大きな幸福であります。

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