長谷川正徳のちょっといい話

第61話 人間の臓器は単なる『物』ではない

人間の臓器は単なる『物』ではない 挿絵

 いわゆる脳死状態の患者から、臓器を摘出して、他の患者に移植することを認める臓器移植法案が、議員立法として国会に提出されている。

 仏教界からも各宗派の研究機関から見解表明が行われているが、おおむね、脳死による内臓移植には大筋において反対である。

 生命の平等、生命の尊厳からいって、脳死患者にも人権があり、体や臓器は決してモノではなく、従って決して売買されてはならない。これが仏教の基盤から出てくる考え方である。

 戦後50年経っても南太平洋の島々へ遺骨を捜しに行くことを思ってみても、日本人にとっては、人格がなくなればあとは物質だというわけにはまいらぬものがある。法案にはこういう文化論的視点が全く欠落している。

 ドナー(臓器提供者)になり得る脳死者の数が、移植の適応があり、それを希望する患者の数より明らかに少ないということは、臓器移植は本質的に不公平医療だということにもなる。

 現実にドナーが足りなければ、移植の順番を待つ患者が、自分と組織適合性のある誰かが早く脳死してくれないかと願う気持ちにもなりかねない。恐ろしい話だ。

 東南アジアの途上国では実際に腎臓の売買が行われており、ヨーロッパでは子供や成人を誘拐したり、だまして臓器を摘出した事件が発生している。臓器売買の恐ろしさは、それが犯罪に結びつく点にある。

 免疫抑制剤使用による重い感染症という点から考えても、人工臓器の開発こそ、現代医学が全力を挙げて取り組むべき課題である。

※この法話は平成6年に書かれたものです。

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