長谷川正徳のちょっといい話

第64話 人は死すべきものである

人は死すべきものである 挿絵

 末期患者の安楽死を合法化する「安楽死法」が米国オレゴン州で誕生したとの報道があった。すでに昨年、オランダでは安楽死が容認されており、無駄な延命治療を拒否して「死ぬ権利」を認める動きが世界的潮流となりつつある。

 しかし、宗教的見地から安楽死に反対する動きもあって、例えば米国のカトリック教会は「安楽死の合法化は個人の自由の勝利などではなく、生命の安売りだ」として反対運動を展開している。

 日本ではどうか。もちろん日本では安楽死は法制化されていない。しかし、尊厳死については、日本尊厳死協会(本部は東京)が推進活動をしていて、現在、会員が7万人にも達している。尊厳死を願う人々は次第に増えているという。

 これまで死を口にするのはタブーだったが、この頃は茶の間の話題にも上るようになった。このことは非常によいことだと思う。

 人は死と対面することによって、ひるがえって今の生を充実していくという生き方、これが仏教の教える生き方の極意である。日蓮上人は「まず臨終のことを習うて後に他事を習うべし」と申された。

 人間にとって、大きな全体的な「別れ」というものは決して人ごとではない。人生無常とは、人生を眺めて悲しむための言葉ではない。無常なるが故に、我々は「今」を生き切らねばならない。

 安楽死も尊厳死も、死と向き合うことによって、生を充実するという知恵を持った人が、自己決定的に決めるべき事がらである。本人以外の誰もがそんたくすべきではないのである。

※この法話は平成10年に書かれたものです。

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