長谷川正徳のちょっといい話

第73話 拝む子に悪い子なし

拝む子に悪い子なし 挿絵
「篤く三宝を敬へ、三宝とは仏法僧なり =中略= 何れの世、何れの人か、この法を貴ばざらん。人ははなはだ悪しきもの鮮(すくな)し、能く教うるをもて従う言々」聖徳太子

 近年とみに青少年の非行問題が取り上げられます。殊に非行に走る青少年の年齢は年々低下し、小学校の高学年より低学年に、更に幼稚園の聖域にまで魔手が伸びつつあると言われます。

 現代生活の目まぐるしさは、ともすれば親までが自分を見失うほどです。しかし、親は子供にとってはプロ、わが子の教育は親自身が自らの体験を通して、事の善し悪しをしっかりと身につけさせなくてはなりません。

 徳に現代生活の中で置き去りにされているのが、家庭の中における宗教的情操教育ではないでしょうか。

 日々の生活の中で親子が宗教に目覚め、人間一人一人の尊さを自覚し、同じいのちに生かされ生きることを確かめ、謙虚な心で先ずは我が家の守り本尊、生命の根源、ご先祖様のお座りになるお仏壇に手を合わせ、今日一日の無事を願い、また生かされていることを感謝し、こころ潤う生活の糧を養わなくてはなりません。

 手を合わせる中に生命の根源を子供たちに自覚せしめる時、人生の明るく、正しい智慧と慈悲の灯しを身につけさせることでしょう。

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