長谷川正徳のちょっといい話

第81話 仏の教は脳死をもって人の死と認めない

仏の教は脳死をもって人の死と認めない 挿絵

 政府の「臨時脳死及び臓器移植調査会」は去る6月14日、中間意見をまとめてこれを発表した。様々な意見や論議が日に日に高まっているので、今回はこれを取り上げてみる。

 中間意見の内容は、脳死を人の死とし、臓器移植を基本的に認めてよいとするものであるが、20名の委員中、梅原猛博士をはじめ4名の委員は脳死を人の死とすることに反対し、その理由を述べているが、これを別添意見として同時に発表している。

 宗教、ことに仏教の立場から言って、我々はこの4名の先生方の意見に賛意を表したい。この別添意見の中には宗教があり、仏教が生きている。中間意見書では、いのちの一番大切な働きは脳にある、だから脳が死んでしまえばいのちはもういのちではなくなる。別添意見ではこれに反論していう。草や木には脳はない。けれどもいのちとして生きているではないか。脳に人の生を生たらしめる唯一の価値を認めるとき、脳に欠陥のある人は人間として認められにくくなり、恐るべき人権侵害を引き起こす。たとえ人工呼吸気をつけても、呼吸をして体温も脈もあり、かつては脳死の婦人が出産したという例もある。そういう人間がどうして死者といえるのか。

 梅原先生方のこの意見は、いのちに仏をみる我々の信仰からいっても全くその通りと申さねばならぬ。「山川草木悉皆成仏」が日本仏教の合言葉であるが、脳死を死と認めてしまう科学者には生命への畏怖という宗教感が全く欠けていると申さざるをえない。

※この法話は平成3年に書かれたものです。

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