長谷川正徳のちょっといい話

第99話 普通の人

普通の人 挿絵

 山を登る時、あせってどんどん登る人がいます。初めのうちは、人よりも一歩も二歩も先に立ち、元気いっぱい得意げに登っていますが、やがて疲れが際立って、休む回数が多くなり、後から倦まずたゆまず登ってきた人が追い越して行ったりすることがあります。

 山登りの達人というのは、肩の力を抜き登ろうとする気負いを捨てて、今、踏みしめて登る一歩を、ただただ無心に一歩一歩足を運んでいくのだそうです。それと同じように、人生もまた、特に信仰も目的だけを追いかけて、脇目もふらず、真剣、ガムシャラに突き進むことが必ずしも良いとはいえない場合があるようです。

 もちろん、怠けたりいいかげんが良いというのではありません。しかし「がんばる」とか「マジメさ」とかいうのも度が過ぎると、そのために周りの景色やその他色々なものが目に入らなくなり、また、心に届かなくなるようです。視野の狭い、例えば馬車うまのようなマジメさ、それがひいては偏狭さとつながるとすれば、それはある意味で大変危険だとさえ言えるでしょう。

 信仰する人というのは、逆に自分が人より勝れていたり、先んじたりする特別の人だという気負いを捨て、たとえどんなに能力があり、勝れている面があるとしても、まず何よりもごくフツウの人でなければならないのでしょうか。

 当たり前に生まれてやがて死んでいく、そして、腹が空けば辛いし、寒いとか痛いとか逃れることのできない生身の生きものの一人であることを心底から自覚することから出発してほしいと思うのです。その上で、各々の分に応じてできるだけのことを一歩一歩着実に生きていきたいものです。

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