名取芳彦のちょっといい話
法話図書館TOPに戻る
名取芳彦のちょっといい話TOPに戻る
名取芳彦先生のプロフィール
法話のお題募集!
名取芳彦先生のバックナンバー
名取先生にメールを出そう
第69話  辿りついてみたら……


挿し絵    世界は無数の宇宙が関係しあって存在している。マクロでは全宇宙大、ミクロでは私たちの細胞一つ一つの中にも宇宙が存在し、すべてが関係を保ちながら、全体で一つである――そんな宇宙観をもっているお経がある。華厳経だ(奈良の大仏の東大寺が、今も昔も華厳宗の総本山)。その壮大さから、華厳の滝の名称もうまれている。
   このお経の最終章に「入法界(にゅうほっかい)」とよばれる物語がある。善財童子という少年が、文殊菩薩の教えに感激し、悟りに憧れて、すぐれた智恵をもつ53人の人たちのもとで修行の旅を続けて、ついに修行を完成するという話である(これがもとになって、東海道53次ができたらしい)。
   善財童子の修行を最後に完成させてくれるのは普賢菩薩。彼は、今では多くの智恵を身につけ、すばらしい人格者(菩薩)になった善財童子に、修行の旅をはじめた頃の姿を見せる。自分では何の修行もできていなかったと思っていた頃の姿を、まるでタイムマシンにのったかのように観察した善財童子は、そこで唖然とする。“私は出発した時に、すでに菩薩であったのか……”と。(私は、このなんとも深みのあるエンディングが大好き!)。
   人生では、どんなことでも、ある所に辿りついて、かつての我が身を振り返った時、すでにその出発時点で現在の自分の姿がダブって見えることがある。右往左往しながらも辿った道のりには何の無駄もなく、現在の自分につながっている。かつての自分が今の自分をすでに内蔵し、今の自分がかつての自分を包括している……。これに気がつくと勇気100倍!

   華厳経では最後に、普賢菩薩が善財童子に励ましの言葉を送る。
「分かったかい。さあ、修行を続けていきなさい」

   人生修行にも完成はないだろう。私たちは、この身体と心に、すべての可能性を内蔵しているんだから、あとは精一杯努力し、怠け、笑い、泣いていけば、大丈夫なんだと思う。
   先週のフォローのつもりで書いたのに、かえって抽象的になってごめんなさい。

   来週は、2月の聲明(しょうみょう)ライブに来てくれた、愛と平和のバンド“輪”のボーカル敦志君の感想から「ヤバイもん見ちゃったなぁ〜」です。ヤバイのは聲明か、それとも坊さんか……
前のお話
次のお話


Copyright © 2004 Japan Temple VAN Inc. All rights reserved.