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第75話  勘違い親孝行その1


挿し絵  大学卒業後にすぐ、栃木県の私立の商業高校の英語の教師を1年やった(1年だからやったうちには入らないけどね)。

 ヤンチャな子供たちに人間への不信感をつのらせ、父の具合も良くなかった(肝硬変だった)ので、お寺の仕事を手伝うために東京に戻った。
 辞めることがきまった時、40歳くらいの同僚の先生が
「あんた、その若さで東京へ戻って、若住職さんとか言われるんだろうけど、一つ言っておきたいことがあるんだ」
と、こんな話をしてくれた。

 その先生は栃木県の出身。大学は東京の中央大学だった。上京して、自由な学生生活をエンジョイしていた2年生の時、電報がきた。
「チチ キトク スグ カエレ。ハハ」 何が何だかわからぬまま、東北線にとびのり、宇都宮でバスに乗り換えて実家へたどり着く。 すでに親戚があつまり、お通夜の段取りなどが相談されていた。呆然としている間に準備が進み、お通夜の日になった。
 年取ったお坊さんがお経をおえて座敷にもどり、食事をしてもらっている所へ行って、まだ20歳だったその先生は泣きながら言ったそうだ。

「お坊さん、俺は、親父になんの親孝行もしてないんです。それが悔しくて、悔しくして……」
するとその老僧は答えた。
「そうか。悔しいか……。でもな、君は、大変な勘違いをしてるぞ」
「……?」
「いいか。君がこの世に無事に生まれてきた――そのことだけで、もう親孝行の8割は済んでいるんだよ」

 少しうつむきがちに自分の体験談を話した先生は、私に向き直って言った。
「名取さんよ。いいか。俺は、その言葉でずいぶん肩の荷がおりたんだよ。できれば、そういうことが言える坊さんになれよな。俺がいいたのはそれだけだ」

 当時23歳で、新任数カ月で辞表を書くハメになった私には“何となくいい話だな”程度の認識だった。 事実、話の内容よりも、教育の現場から逃げて東京へ帰るような形になった若者への「頑張れよ」という励ましの言葉として受け取ったにすぎなかった。まさか4年後に思い出すとは夢にも思っていなかった……(次回へつづく)
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