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第83話  超ラッキー!


挿し絵  高1の娘に何かの拍子に「これってスゲクない?」と若者言葉っぽく言ったら、高3と大2の伜が「お父さんのは、ただの茨城弁だよ」と言われて落ち込んだ……。私にはどこが違うのかわからないのだ。

 さて、その子供たちが小学生の時のことだ。友人が遊びに来て子供たちにお小遣いをくれたことがあった。2,000円を3人では分けられないので、私が100円足して、700円づつ分配した(200円を私がいただいて、600円づつ分けるなんてことはしない)。
 そして、夕飯の席……
娘「今日は超ラッキーだったよね。700円ももらっちゃって」
父「ちょっと待てよ。お父さんがあのおじさんの家に行った時にも、あの家の子供たちにお小遣いをあげたんだ。だから、ラッキーじゃなくて、“おとうさんのおかげさま”って言うんだよ」
母「そういうのは“おたがいさま”って言うんでしょ」
 私は、家内の思わぬツッコミにしどろもどろしながら「でもな、お前たちもお墓のゴミ箱掃除を手伝ったりするから、本尊さまのご利益かもしれないな」と言った。

 英語のラッキーという言葉は、キリスト教が土台になっているはずだから、“神の配慮”とか“神のおかげ”という裏打ちがあるはずである。ところが、現在日本語としてつかわれているラッキーは、そんな裏側はない。何の苦労をすることもなく得られた果報を単に喜ぶ言葉だ。同じような意味で使われる“濡れ手に粟”ならば、粟を手につけるために手を濡らす作業がある。“棚からぼたもち”なら誰かがぼたもちを作り、棚の上に置いたという工程が無条件でふくまれている。ところがラッキーという日本語には、そんな裏側がなんにもない薄っぺらな表現に思えてならない。

 ラッキーは、おかげさま、おたがいさま、ご利益など、色々な厚みのある言葉で表現できるはずだ。そういう言葉を使えないのならともかく(知っていても使わない言葉もあるものです)、なるべくならそういう言葉を使っていきたいと思う。
 さて次回は、お金の分け方つながりで、30年まえにユーミンから出題されたナゾナゾをご紹介しながら、屁理屈への精一杯の対抗手段「なんか変だよなあ」でいきます。理屈を好んで言う人、読んでみて!

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