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第95話  旦那とドネーション


挿し絵  仏教で、心がやすらかになる方法の一つが布施。
坊さんの私が言うと“ナンダ…、またカネの話か”なんて思われそうですが、それはまた別の機会に書くことにします(コッチにだって、言いたいことあるんだからね!)。

 さて、気を取り直して……。布施の布という字には、“広げる”とか“ゆきわたる”“散らす”という意味があります。つまり、施しをバラまくのが、布施ということ。
でも、仏教の布施は「見返りなどを求めない無条件の施し」という条件がつきます(無条件という条件……?)。
 “これだけ愛してるんだから、あなたも私を愛してよ”などは言うに及ばす、“お手伝いしたら、お小遣いあげるよ”なんて言われてやるお手伝いは布施じゃない(こういうのは取引だ。キブ アンド テイクだ。贈収賄だ)。

 布施は、昔のインドの言葉でダーナって言います(すでに知ってる人がいそうダーナ……)。この言葉が中国で、旦那(檀那)と音写されました。本当はこの先の展開は、世の奥さまがた(特にうちの家内)には読んでほしくないのだが、話の流れだから仕方がない。ヤブヘビ覚悟で続けます。
 だから、無条件でなにかをする(というより本人にとってはさせてもらうという意識を持っている)人のことを、ダンナっていうわけです。自分の欲を捨てて、喜んで施す人のことです。ギブ アンド テイクじゃなく、あげるばかりのギブ ギブです。檀家というのも、檀那+家で布施をする家という意味です。
 一方、danaがインド以西に広がって、英語の(公共のための)寄付の意であるドネーション(donation)の語幹になったそうです。

 仏教では、お金や物の布施の他に、席を譲ることも、相手に笑顔で接するもの大切な布施の行と考えています。もう少し突っ込むと、布施する側も、される側も布施の意識があってはいけないんだそうで、自分が何かをしてあげたと思うのもダメなら、相手が何かをしてもらったと感じることも、真の布施にはならないということらしい。こうなると、難しいけど、親子関係なんかは、それに入るかもしれない。

 そう言えば、この布施の行で、シマッタと思ったことがあったっけ。
次回はそれを書くことにします。題して“面倒をみたんだから面倒みろよ”の巻。条件をつけた布施の思わぬ逆襲に微笑んでいただきます。
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