ちょっといい話

第106話 大往生って言わないで

挿し絵  70歳の男性が亡くなった。その一年ほど前から身体の具合が悪く入院したことは知っていた。しかしその間、家族が先祖の墓参り来た時に「お父さんの調子いかがですか」とは、聞けなかった。お坊さんがそんなことを尋ねれば“死ぬ時期を知りたいのか”と思われてしまう可能性があるからだ(当方の思い上がりかもしれない)。
で、結局訃報を聞いてとりいそぎ、枕経まくらぎょう(亡くなって早い時期に枕のそばで唱えるお経のこと)をあげに行った。お経をあげた後、親戚のいる中でお茶をいただきながら、差し障りがない程度で、最期についての話がでた。

 聞くと、数日前まで話もできたが、最期は眠るように逝ったとのことだった。私は「そうですか。それでは大往生でしたね」と言った。これが今思えば、僧侶という立場を利用した傲慢な発言だった。生死の専門家のような人間が“大往生でした”というお墨付きをあげることで、身近な人の死を遺族が安心して受け入れられるだろうという判断があったからだ。
やがて、49日の法要。後座で清宴がはじまり30分ほどたった時だった。故人の弟さんが私の席にやってきて、こう言った。
「兄貴が亡くなった日、住職さんは大往生だったって言ってくれたけどね。兄貴が家族や兄弟に、それまでどんなことをしたか知っていたら、あんな結果良ければ全て良しみたいなことは言えなかったと思うよ」

 以来、私は自分から「大往生でしたね」とは言えなくなった。この話、どこかおかしいので、来週はべつの角度から取り上げます。題して「頑張ってって言わないで」です。