ちょっといい話

第116話 余生

挿し絵  高崎市のやまちゃんから“老いて 楽書き 落書き”というリクエストをいただきました。
どういう意味だろうと思っていたら、その一週間後に高崎のお寺でお話させていただいた時、ご本人が会場にいらっしゃっていて、ビックリ!70歳というお歳にはとても見えないので二度目のビックリ!でした。そこでお話を聞いて納得しました。
―――テレビで書き取りの問題をやっていて、ラクガキが出題された時に、小学生の珍解答の中に“楽書き”があった。常識のない子だと思っていたけど、考えてみたら“楽しく書く”のほうが落書きの真意を伝えているかもしれない。私はもう歳だけど“落書き”を“楽書き”と書けるような心の若さを持っていたい―――というのです。
 もうここまで聞けば、すごい!と握手したくなります。

 私の母は20年前に亡くなりました。57歳でした。残された父はかなり寂しかったようです。母の新盆を迎えた時、父は檀家さんにもお世話になったからと、玄関から見える部屋にお盆のしつらえをしました。たくさんの檀家さんが自分の家のお墓参りに来たついでに、部屋にあがって母にお線香をあげてくれました。
 そのうちの一人が、帰りがけに父に励ましをしてくれました(この時私は玄関の隣の部屋にいて、何気なく話を聞いていました)。
「住職さんもお寂しいでしょうけど、お子さんたちも大きくなられたんだから、余生を大切に楽しんでくださいよ」
この言葉に、父はそれまでの会話の口調をあらためて、かなり大きな声で言いました。
「あんたな(父の口癖)。人の人生に“余った人生”なんて、ないんだよ」
特別操縦見習士官(特攻隊)4期生に志願した父は、いざ飛行機に乗ろうとしたら肝心の飛行機がなくなってしまった経験を持つ。そして、最愛の連れ合いを亡くした。余生という言葉をどれほど考えたことだろう。その結果が「余生なんて言うのはよせィ!」である。

 私も世間から老境といわれる歳になったら、やまちゃんみたいになろうと思う。
 さて、次回は匿名のリクエスト“粋な浮気と野暮な浮気”でいきます。なんかついに来たか!みたいなお題だな。さて仏教ではどう割るんだろう……