ちょっといい話

第120話 早期癌で良かった…

挿し絵  22年前に、母の膵臓癌が見つかった。自分自身のことであるのに、母は自分の病名を知らず、私たち家族は母を1年半だまし続け、母はだまされた振りをしてくれて逝った。そのことがきっかけで、当時仏教情報センターが月一回、築地本願寺を会場に開催していた“癌患者・家族と語り合う集い”に、僧侶兼家族の立場で参加するようになった。

 毎回さまざまな立場からの講演を聞いた後、10名ほどのグループに分かれて各人が抱えている問題を話し合う会だ。参加者は、医師、看護士、僧侶、患者、患者の家族などである。
 この会で講演してくれた一人の看護婦さん(当時私より2つくらい上の29歳くらいだったと思う)に、私は、自分の思慮の浅薄さを思い知らされたことがある。彼女は癌センター勤務だった。ある時胸のシコリに気がついて、自分の病院で検査。
幸か不幸か彼女は自分のカルテを見ることができる立場にあった。
彼女が自分のカルテで目にした検査結果には、ドイツ語で早期乳ガンとあったそうだ。私は、会に参加していたおかげで、癌は早期であれば治るし、乳ガンの術後5年生存率が8割を越えていることを知っていた。だから、その話を聞いた時、心の中で「早期の発見で良かったじゃん」と手をたたいた。ところが、彼女はそのあと、私が想像だにしないことを話しはじめた……。

 「病院でカルテを見た日、私は家に帰ってからタンスの引き出しを全部引き抜きました。乳房切除の手術(最近では温存手術が多いそうだが、当時はこれが一般的だった)をしたら、片方の胸がなくなります。私は、翌朝までかかって、胸が片方になっては着られなくなる水着やワンピース、ブラウスを一枚一枚、泣きながらハサミで切り続けました」

 聞いていて、私はいたたまれなかった。自分の思慮の無さに嫌気がさし、後のグループワークでも殆ど何も話せなかった。命があるだけでいいじゃないですか、と“命”の一言で“こころ”を無視する傲慢な僧侶がそこにいた。正しい見解や、正しい思いは、仏教では正見しょうけん正思惟しょうしゆいという簡単な言葉だが、私がこの心にたどり着くまでに、あとどれほどの時間と経験が必要なのだろう……。

 さて来週は“バカは死ななきゃ…”でいきます。自分はこういう性格だからと、(悪い意味で)開き直っている人への応援歌でございます。お楽しみに!