ちょっといい話

第121話 バカは死ななきゃ…

挿し絵  京都堀川病院の元院長の早川一光先生が講演の中で、西陣の街の二人のおばあちゃんの死を紹介しておられる。

 “一人のおばあちゃんは、若い時にご主人を亡くした。お金に苦労することも多く、仕方なく親戚にお金を借りにいったこともあった。最初のうちは機嫌よく貸してくれていた親類も度重なる借金に、こんな時だけ親戚づらしないでちょうだい、の一言。それ以後おばあちゃんは、頼れるものは自分とお金だと思い、来る日も来る日も機織りをして金を稼ぎ、子供を育てあげた。やがて病床に伏したおばあちゃんは意識が混濁する中で、無意識に何かを触ろうとしている。
子供たちが手を握ると、違う、違うと振り払う。そして臨終の時、おばあちゃんは手を自分の枕の下に差し込み、息を引き取った。枕の下で彼女がしっかりと握っていたものは、なんと郵便貯金の通帳だった”

 “もう一人のおばあちゃんは、いよいよ最期を迎える時、ベッドで意識が朦朧とする中でやはり何かに触ろうと手をのばす。集まっていた子供たちが自分を探しているのではないかと手を握る。長女が握ると、お前じゃないと払いのけた。
次女も同様に握ってもらえず、末娘の手も拒否。そして最後に、散々言い争いをしてきた嫁が手を出すと、しっかりと手を握り、世話になったなと言って息を引き取った”

 早川先生はこの二人の話を紹介した後に、次のようにおっしゃる。
 人は、意識が朦朧としたり、無意識になった時に、その人の本性が出てしまうものです。恐いことです。いくら元気な時に、こんな言葉を残して、こういうふうに死んでやろうと思っていたってダメ。どう生きてきたかが全部出てしまう。通帳を握って死ぬような生き方はせんといてくれ!
 ちなみに、先生は通帳を握ったおばあちゃんは悪くないとおっしゃいます。仕方のないことだったと。しかし、自分が40年以上も主治医でありながら、そういう生き方の方向性を変えてあげられなかったのが、とても悔しいのだと、ご自分の反省に置きかえていらっしゃいます。

 私はこの講演のビデオを巡拝の時に持っていき、バスの中でみんなに見てもらうことにしています。何回見ても、この二つの話が印象に残ります。残り過ぎて、ついに昨年暮れに夢を見ました。臆病な人は認知症になっても臆病か、几帳面な性格は認知症になっても残るのか、バカは死んでも治らないのかという夢です。
この夢が発端となって、仏教を改めて見直すことになりました。
 詳細は次回“それを修行って言うんでしょ”でいきます。