ちょっといい話

第136話 どっちを選ぶ?

挿し絵  今回は、仏教を少し勉強した人なら知っている(?)こんな問題からスタートです。

<問>あなたの目の前で、奥さん(or旦那)と、自分の親(父or母)が溺れていたとします。あなたはどちらを先に助けますか?

 この問題に、社会学者はこう答えた。社会の最小単位は夫婦であり、それが壊れると社会が駄目になる。したがって、奥さんを先に助けるべきである。
 続いて、儒教の学者がこう言った。何をバカな……。自分が、ここに、こうしているのは、生んで育ててくれた親あってのことでしょう。自分の親を先に助けずして、誰を先に助けるというのですか。
 二人の学者の論争を、目を閉じて黙って聞いているのは一人のお坊さん。ついに論争している二人は気がついて言った。 “坊さん、あんたはさっきから私たちの言い合いをただ聞いているだけで、何も言わない。ずるいじゃないですか。あなたなら、否、いっそのこと、仏さまならどちらを先に助けるか、お聞かせいただけませんかな”
 すると、目を静かに開けて坊さんが笑いながら言った……ハハハハハ。仏さまなら、そりゃ、手近なほうから助けます。

 私は20代後半でこの話に出合い、それまでの仏教観が変わった思い出があります。仏教って面白いんだなって。
 さて、実際には、私は二者択一(一瞬一瞬、その選択をしながら生きていると言っても過言ではありませんけどね)をせまられた時に考えることがいくつかあります。
 その1、今しかできないことを優先する。時間的な判断です。元気だからこそ、学生だからこそ、あるいは今の職場の地位だからできることなどです。私の場合、大学の授業の後に、毎晩通った英会話学校がこれにあたります。今じゃとても時間的に無理……
 その2、やれそうなことよりも、一生懸命になれそうなことを優先する。精神的な判断です。何かを頼まれた時、やれるかな?よりも、楽しめそうかな?を優先します。この法話を書き続けている理由の一つです。
 その3、どっちを選んでも、いやいや、どちらかを選ばなければならないのなら、結果としてどちらを選ぼうと、自分がした選択に間違いはないのだ。二者択一不可能な場合です。重病になった時、意識を保って死期を早めるか、植物状態でも延命を選ぶか。お寿司を食べる時、好きなものを先に食べるか、後に食べるか。仏さまはどちらをえらんでも“そう、それで良かったのだよ”と言ってくれるはずです。

 さて次回は、山形の大木さんからのリクエストをそのまま頂戴して“縁起担ぎ”でいきます。今年のお正月、ウキウキして注文した洋風おせち料理……坊主の脳裏をよぎったものは……