ちょっといい話

第140話 二股大根、八百屋の隅に捨ててある

挿し絵  それにしても、今回の兵庫の山口さんからのお題は、妙にイメージしやすいですね。どこかで見たことあるような……でも、一般の八百屋さんではあえて二股大根の仕入れはしないでしょうから、見ている筈はないわけです。私の想像力過多かな?
 農家の方によると、二股になるのは、根を二つに分けて強風で倒れないように、雨で流されないようにという、大根の涙ぐましい心意気なのだそうですが、まがったキュウリが消費者に人気がないように、二股大根も売り物にはならないそうです(私は気にしませんがねえ……)。

 さて、この八百屋さんでは売り物にならない二股大根を、売り物にしている場所があります。それは大黒さまと聖天(しょうでん)さま。
まず大黒さまですが、この神さまを祀っているお寺では、二股大根が奉納されることがあります。それはこの大根が女性の下半身をイメージさせることから、えーと、コマッタナ……つまり子供が生まれる場所を想像させるところから、子孫繁栄を祈るためなんです(ちなみに大黒頭巾をかぶったその姿は、男性の象徴として考えられると言われています)。

 そしてもう一つの聖天さま。各地に“○○の聖天さま”と呼ばれている霊験あらたかなお寺があります。頭が象、身体が人間のこの仏さま(厳密には天だから神さまと言ったほうがいいですけど)の別名は歓喜天(かんぎてん)。その像は一人だったり、二人が抱き合っていたりしていて、密教の仏さまです。密教では人間の欲望の根源的な力をフルに発揮させて悟りの世界に至る方法があります。ですから性欲も肯定する場合があります(考えてみれば否定なんかできませんよね。先祖代々の性欲があるから私たちは生まれてきたんですから)。これを象徴したのが歓喜天です。この仏さまの供養は、密教の厳密な方法でしかできないために一般の家で祀られることはありません。

 男女和合の姿をした仏さまだけに、そこに供えられるものも二股大根で、それをさらに二本交差させた形が聖天さまのお寺の紋になっている場合もあります。
 このように二股大根には、独特の意味もあるんです。ですから、どうして、どうして、二股大根って、なかなか捨てたもんじゃないですね。今回は、ただの解説になってシマッタ……。

 さて次回は、生後間もないお子さんを亡くされた方からのお題「天寿って何?」でいきます。一緒に考えてみませんか。