ちょっといい話

第141話 天寿って何?

挿し絵  『広辞苑』によると天寿とは“天から授けられた寿命”とあります。しかれば、天とは何だ?……と調べてみれば、空や空模様などに続いて
 “[4]天地万物の主宰者。創造主。帝。神。また、大自然の力。「天命」「天然」”
とあり、[5]では
 “自然に定まった運命的なもの。うまれつき。「天性」「先天的」”
とあります。
 つまり、天にしても、天寿にしても、私たちのご都合以前ということです。私が男(女)であり、いつの時代に、誰を親として、何番目の子供として、どのくらい生きるかということは、私たちには決められないことです。仏教では我が身や他の人のこういう状況を「仏の命を生きている」と言います。分からないことを、仏さまに丸ごと受け取ってもらうと思うことです。
 とても勇気がいりますが、分からないことを分からないとしておく勇気はとても大切だと思います。そうでないと、自分の運命が誰か(神さまや、霊)の仕業だと考えたくなってしまいます。これでは、自主性がなくなってしまいます。言い換えれば考える力(智慧)が働かなくなってしまいます。繰り返しになりますが、分からないことを分からないとしておくもの智慧(ちえ)なんです。

 今回のお題をくださった方は、生後25日のお子さんを亡くされた方です。せっかく生まれてきたのに、どうして、どうして、どうして……お医者さんから原因の説明はあったにせよ、ほとんど気休めにもならなかったことでしょう。同様に、私がここで「どうしてお子さんがなくなったかについては、分からないとしておいたらいかがですか」と書いても、おそらく納得できるものではないでしょう。
 だからこそ、私たちの先祖は「不条理な死(もともと死は当たり前とはいえ、私たちのご都合通りではありません)」を、人間の意思を超えた天が定めた「天寿」という考え方で納得しようとしてきました。最近では、もっと具体的な考え方で、早世した子や障害児の親になったことを納得していく人の話を聞きます。今の私にはこの考え方がとても納得のいくものなのでご紹介します。

「この子の親には誰になってもらおうか、と神さまたちは考えたに違いない。
   “この人ならこの子の命を、早く世を去らなければならなくても、障害を持っていても、しっかりと受け止めてくれる筈だ。”
 こうして、私はこの子の親に選ばれたのだ」
 早くそう考えられるようになることを、心からお祈りします。合掌

 さて次回は、今回とのつながりで「皆に待たれて逝(ゆ)く人は」と題してまいります。「皆に惜しまれて逝(ゆ)くほうがいい」と思っている熟年の方、必読であります。