ちょっといい話

第145話 後ろ髪、引くに引かれぬ坊主の頭

挿し絵  ここ5年ほどで、以前は頭だったところが額になってきた。これだけ私がお茶目な表現をしているのに、檀家さんは「住職もずいぶんはげ上がってきたなあ」とストレートに冷やかす。短くても髪の毛があるから、頭髪前線の後退が一目瞭然なのである。他人の身体的特徴をあげつらうことで満足感を得られるような生き方はしてもらいたくないので、時々剃ってしまう。ツルツル坊主である。叩くとペタペタ音がする。剃りたてで檀家さんに会うと「あれまあ。ずいぶん綺麗になりましたねえ」と言われる。「そうなんです。これで後ろ髪を引かれる髪もないんです」と訳の分からない返事をする。

 さて、皆さんが“坊主頭”と言うとき、いったい髪の毛の長さはどのくらいまでのことを言ってるんでしょう。1センチくらいまでは坊主頭ですか?意外だと思われるかもしれませんが、仏さまの中でいわゆる坊主頭をしているのはお地蔵さまだけなんです。あとの仏さまは、螺髪らほつと言って渦を巻くような右巻きの縮れ毛をしてるんです。
 これに対して出家した人は髪を切ります(僧俗一体の考え方を持つ浄土真宗はその限りではありません)。インドの時代から、髪の毛は社会生活と密接な繋がりがあると考えられていたようです。日本でも、伝え聞いた所では銀行マンは今でも短い髪は御法度だとか。ですから、普通の生活から決別して仏道修行に入る時には、社会生活と縁を切るという意味で、社会性を表す髪を切るんです。囚人が坊主頭にされるもの、社会性を絶つという意味でしょう。もちろん、髪の毛の手入れに気を使うような時間があったら心を磨くことに使いなさいという意味もあります。

 さて、ここでご紹介したいのは、まだまだ外見にこだわっている若いお坊さんたちの間で時々熱心に交わされる会話。
“髪の毛を剃るんなら話はわかるんだよ。でも、伸ばすんならどこまで許されるんだ?”
“そうそう。伸ばすんなら1ミリでも3センチでも伸びていることに変わりはないものな”
“剃髪か、伸ばすかだよな”
 この議論に関しては、仲間から「“手を頭にあてて指から髪の毛が出ない程度まで”という伝えがある」と聞いたことがあります。
 お釈迦さまの遺言である『遺教経ゆいきょうぎょう』では、財産を蓄えようとしたり、怒りを抱いたり、おごりの心が起こるような時には“まさに自ら頭をづべし”といましめています。“頭にさわってみろ。どうして出家をしたか思い出すだろう”と。

 最近はお坊さん以外でもファッションで坊主頭にしている人が多くなりました。でも、不思議なことですが、頭は坊主でも、坊さんかそうでないか、だいたいわかるんですよね。
 さて、来週は一人で入った旅先の居酒屋で、ちょっと勇気を出したあるお坊さんの話です。題して”無理やり好奇心”、お楽しみに!