ちょっといい話

第150話 曼荼羅? 序

挿し絵  今回はチベットの曼荼羅にほれこんで、ついに手描きのチベット曼荼羅を買ったというマティトミさんからのリクエストに反応してまいります。ちなみにマンダラは、もともとサンスクリット語なので、音写した場合に曼陀羅とか満荼羅とか曼荼羅などさまざまな漢字が使われることがあります。さらに蛇足ですが曼荼羅の“荼”は“茶”ではありませんのでご注意を。曼茶羅だとマンチャラになっ茶います。

 さて、一般によく見かけるのは真言宗で使われるたくさんの仏さまが描かれている曼荼羅かもしれません。そのレイアウトの緻密さと色使いが「仏教美術」としての価値を高めているとも言えます。しかし、本来は私たちを含めた大宇宙の営みについて、言葉じゃ説明できない(つまり理屈じゃない)から絵で表そうと描かれたものなんです。えーと、大宇宙という言葉を使いましたが、小宇宙でも同じこと。私たちが住んでいる宇宙も、ひょっとしたら、超巨大な生物のたった一つの細胞の中に納まっているかもしれませんし、私たちが流す涙一粒の中に、すさまじいほどの構造を持った宇宙があるかもしれないからです。
 極言すれば、一つの世界(自分を中心にした家族、友人、ペット、知り合いなどを一つの構造体として考えた姿でもいいです)を余すところ無くあらわしたものが、○○マンダラと呼ばれるものです。

 さて、20年ほど前になります。仏具屋さんが、父が住職をしていた寺に曼荼羅を売りにきました。関西の由緒あるお寺の曼荼羅を手描きで復刻した限定品(たしか一幅200万円くらいだったと思います)という触れ込み。しかし、ほとんどの真言宗のお寺には既に曼荼羅が本堂にかけられています。父の寺の本堂にも江戸時代の手描きの立派な曼荼羅がありました。営業マンは“このお寺にはすでに立派な曼荼羅があるよ”という父の言葉にもなかなか引き下がりません。
 塔婆書きを途中でやめて対応していた父は、営業のあまりのしつこさにこう言いました。
 「あなたが営業として曼荼羅を売りたいのはわかるよ。でもな、曼荼羅って何なのか知ってるか?いいか、このお寺が境内を含めて曼荼羅なんだよ。私自身が曼荼羅そのものなんだよ。だから、これ以上曼荼羅はいらないんだ。わかったかい?はい、さようなら」

   それからしばらくして、私は「曼荼羅は仏さまの展開図」だと感じたことがありました。でも先輩のお坊さんから聞いたら平面じゃなく、あれは立体として見るんだと教えられました。3Dなんですって。
 誰もがもっている心の中の仏さまを、展開して、その人自身が曼荼羅になっちゃう。そうすると、歩く曼荼羅!
おおらかな気持ちで今年もいきましょう!

 さて、次回は“わたしゃマダマダだな”でいきます。
お参りにでかけて、宿坊の風呂場で雑然と脱ぎ捨てられたスリッパ……いったい私は何を思ったのでしょうか。