ちょっといい話

第161話 恐怖霊から祖霊へ

挿し絵 今回は冒頭から恐縮ですが、「苦」=「ご都合どおりにならないこと」という仏教の大前提からスタートです。

 自分のご都合通りにならない横綱格が、生まれること、年をとること、病気になること、死んでしまうことの四つ。
続いて大関格が、愛するものと別れること、会いたくない人と会ってしまうこと、求めても手に入らないこと、物体と精神のバランスが上手くとれないことの四つ――これが総称されて「四苦八苦」となります。

 じつは、私はこの他に気象現象などを含めた「自然」を入れてもいいと思ってます。人類はその強大な自然現象の前に、長い間、なすすべもなくただただ畏敬の念で接してきました。そして、ひとたび天候が荒れたり、地震がおきた時には、それまで穏やかだった自然界の“意志”が怒っているのだと考えました。この意志を「タマ」と呼んでいます。今でも、晴れてほしいのに雨が降ると「誰の行いが悪いんだ?」と冗談まじりに言うことがあるのは、何かの意志が働いたと考えるからです。誰かの行いがタマを怒らせた。だから、タマが怒って、罰を与えるために、私達のご都合に合わない雨を降らせたとなるわけです。このタマが怒った時に、それをなだめるために行われるのがお祭りです。つまりお祭りをして、バランスを取ろうとするのです。

 さて、この、川を反乱させたり、土砂崩れをおこさせるほどの力を持っているタマが、強大な力を持っている人間に当てはめられると“タマシイ”となります。“強大な力”というのは権力や肉体的な強さ、精神的な強さと言っていいでしょう。考え方一つで、赤ちゃんでも、主婦でも、坊さんでも、人は誰でも強大な力を持っているので、みんながタマシイを持っていることになります。
 人が亡くなるとこのタマシイは、畏怖の対象になります。言いかえると、人は亡くなってすぐは、恐怖の対象です。見ず知らずの人の遺体に触れることは簡単にできるものではありません。生前の対応の仕方が亡き人への負い目となっている遺族(知り合いも含まれます)の場合は、尚のこと、恐怖霊に思えてしまいます。

 この恐怖霊を穏やかにするために、生きている者はそのタマシイを手厚くもてなします。そのようなもてなしを受けて、やがて穏やかになったタマシイは森や山に落ちつき、子孫を守るようになる(“ご先祖さま”です)。そして正月とお盆に子孫の元へ帰ってくる、というのが、日本人の霊魂観と言われるものです。

 えーとですね。ここで終わってしまうと、霊感商法の理論武装を坊さんが手助けすることになってしまいます。
今回を踏まえて、次回“これじゃタマシイがかわいそう”で、本当にお伝えしたい、自分の不都合の時ばかりタマシイを持ち出す、私達の心のあり方を考えます。