ちょっといい話

第170話 足踏み

挿し絵 日本には“可愛さ余って憎さ100倍”という言葉がある。この言葉が本当だとすると、人を許したり愛したりするエネルギーよりも、憎んだり、恨んだりするエネルギーの方が100倍も強いということになる(そう言えば、スターウォーズでも、心のダークサイド[暗黒面]が強烈に描かれていたっけ……)。

 一方で “人を恨むエネルギーと許すエネルギーは、ほぼ同じである”という言葉を聞いたことがある。他にも“人を愛するエネルギーと憎むエネルギーもほぼ同じである”という言葉もどこかで聞いたような気がする。たしか、どちらも外国の言葉だったように記憶している。私はこの言葉の真偽など疑いもせず、ほとんど丸ごと信じているお人好しの一人である。
 お人好しと書いたのは、私がこの言葉を標として「ガンバロウ」と思うのは、誰かのことを恨みそうになったり、憎みそうになったりした時だからである。私には人を恨み続けたり、憎みつづける根性がないのだ。同じエネルギーを使うなら、許したり、愛したりする方向へ向かわせようと三日くらいは努力する(三日坊主だ)。

 必死になって「どうして、あの人はあんなことをしたのか」「何があの人をそう言わせたのか」を考えて、「考えてみれば可哀相な人だ」と哀れむことで相手を許そうとする(傲慢極まりない納得の仕方ですが、今の私はこんな所デス)。ところが、心の底で納得していないものだから、“あの日”のことが悪夢になって現れて、真夜中に嫌な気分で目を覚まし、悶々としながら数時間も寝返りを打ち、寝られぬままにカラスの声を聞くことが年に何度かある。
 俺は人生の中で、どうしてこんなところで足踏みをしているんだろう……そう思いつつ、気だるい身体で本堂の扉を開ける。朝の新鮮な空気を深呼吸すると、不思議に心が落ち着く。

 鹿児島の“みぃ”さん、具体的なことはわかりませんので、今回の話が見当違いだったらごめんなさい。でも、あなたと同じような思いをして、悩んでいる坊主もいるのです。
 さて、次回は札幌市の玉介さんからのリクエスト“セッセッセーのヨイヨイヨイ”でいきます。この言葉の調子の良さから、歌の調子について書いて一席といたします。