ちょっといい話

第174話 昨日の敵は今日の友

挿し絵 世界中を熱狂させたサッカーW杯も終了。日本人の多くが寝不足になった。録画ができる時代なのに、やはりオン・タイムのライブでないと全く緊迫感がないのが良く分かった。日本は残念ながら一勝もできなかったが、予選の対戦チームのブラジル、オーストラリア、クロアチアは、もはや憎っくき敵ではない。
 それどころか、決勝トーナメントに残ったブラジルとオーストラリアを、私は応援した。で、考えた。どうして日本チームに勝った国を応援したくなるのだろう……と。

 まず最初に思いついたのは次の理由だ。

 “日本チームが負けたチームが強ければ強いほど、負けたことに納得がいく”――あんなに強いチームとやったのだから仕方がない――という理由である。

 しかし、どうもこれは、私が応援したい理由ではなさそうだった。そして、思い当たったのが次の理由だ。

 “12番目の選手(サポーター)として、私はテレビの中であの2時間を共に過ごした。日本チームとだけではなく、相手チームとも2時間を共有したのだ。だから、相手チームの選手の名前も覚えた。だから、日本が負けたとはいえ、相手チームを応援したくなるのだ”

 仏教で、相手のことを思いやるという“慈悲”がどこから発生するかについて、私は“共通”“同一性”がキーワードだと思っている。自分と共通点があれば、人は物や他人に対して優しくなれるのだ。同じ日本人、同じ年齢、同じ体験、同じ日に同じ地球に生きている……共通点は山ほどある。それに気付くのに“智慧”が大切だと仏教では考えているのだ。
 そして、この共通点を意識して、“あなたと私は同じなのですね”と相手を敬う気持ちを形に表したのが“合掌”という姿に他ならない。

 さて、来週は久しぶりです群馬のwitchさんからのリクエスト“年をとること”でいきます。いい年とりたいですね。