ちょっといい話

第175話 年をとること

挿し絵 考えてみれば、私は今年4回目の年男だ。辞書によると“熟年”である。ぎゃっ!熟年とは60歳以上のことかと思ったら、やはり私は甘かった。
 大辞林にはこうある……
【熟年】円熟した年齢。五〇歳前後の年齢。中高年。実年。[小説家、邦光史郎が1978年に用いた]
 さらに驚いたのは、英語では、円熟した年齢はヴィンテージ・イヤー(vintage year)である。もう、どっひゃ〜ん!だ。年代物のワイン並みじゃないか。“僕は、まだそんな年齢ではありまっせ〜ん!”と叫びたいところだが、生憎(あいにく)虚しく響くだけである。
 久しぶりに友人の子や甥や姪に会うと必ず言ってしまう言葉に“へえ、こんなに大きくなったんだ。これじゃ、こっちも年をとるわけだわ…”がある。他人(ひと)の子の成長を見ることでしか自分が年をとったことを自覚しないとは、まったく情けない。

 ……と、上記はほとんど冗談である。私はそれほど自分が若いと思っているわけではないし、年をとることを否定的に考えてはいない。
 私は、年をとることは、許せることが増えることだと思っている。それだけさまざまな経験(失敗)を踏んでいるわけだから、人の失敗などには寛大になれる筈だと思う。一方でその経験から、自分のやることに頑固になることでもある。それでその年までやってきたわけだから自信があるのだ。

 “自分に頑固、他人に寛大”というのが、普通の年のとり方だろう。
 そして、そこに瑞々みずみずしさを加える秘訣は、心を新鮮にしておくことだ。誕生日は毎年のことだが、“○○歳の誕生日”は誰もが初めての筈である。言いかえれば誕生日は誰もが“生まれて初めて○○歳”になった日でもあるのだ。こう考えればウキウキしてくるではないか。
 鏡を見て自分の老いに驚くことを「オイル・ショック」と言うそうだが、落胆する心のあり方より、ウキウキしている心の方向性をもっていると、身体中の筋肉の老化がある程度食い止められるような気がする。その最たるものが顔を筋肉だ。ため息ばかりをついていると顔の皮がたるんでくる。いつもウキウキ、ニコニコしていると、どんなに色黒でも皺がたくさんあっても、ステキな笑顔だと、つくづく思う。

 さて来週は、久しぶりに都鳥さんからのリクエスト「恭悦至極って仏教語?」に答えて、ちなみに仏教語では無いようですが(あらら、もう答えちゃった……)、"決まり文句"でいきます。時々使うと効果抜群の決まり文句の数々のご紹介です。