ちょっといい話
第191話 あんな人になるために

“学ぶ”は“真似(まね)ぶ”と同源であることは良く知られています。何かをする時に、まず型を真似ることが第一歩になるのでしょう。先人たちが、何代にもわたって自らの経験と創意工夫をして作り上げた型を、一から作り上げるのでは大変です。真似したほうが早いです。でも、真似だけでは満足しきれなくなりますから、安心して真似してください。
私の真似をちょっとご紹介します。
先輩のお坊さんのお寺には掲示板が20ヶ所近くあります。そこに色々な言葉を書いては貼り、剥がしては書いて「掲示板のお寺」と異名をとるお寺でもあります。私は「いただき!」とばかりに掲示板布教を始めました。それまでは送られてきたポスターを貼った広告板だったものが、親しみのあるお寺の掲示板になりました。
B5サイズの用紙一枚で文章布教をしているお坊さんがいることを風の噂に聞きました。これも“イタダキ!”で、私はもっと手軽なハガキ一枚の布教を始めました。
法事の最後に、参列者の心に勇気と元気を持ってもらうために般若心経を太鼓で唱えたら好評だという仲間の話を聞きました。“ホイ、これもいただきます!”で、密蔵院でも始めました。大好評です。
これを「芳彦のやっていることは人がやっていることのイイトコ取り」だと非難する人はいます。当たり前です。自分でいいと思うことばかりやっているんですから。
えーと、何だか内容の整理がつかなくなってしまったな……。
……で、です。経験上、型の模倣はそのうちに自分で物足りなくなるものです。そして、生き方やライフスタイルは人や地域によって異なります。ですから、尊敬する人のそのままを真似しようと思っても限界があるでしょう。
その型を生み出すための“心”を真似してみるんです。そうすると、もともとあった心にそれが融合して、新しい自分が出来上がってきます。
型の真似から、心の真似へ。仏さまの心の真似ができたら、その時のあなたが『仏さま』なのだと思います。
さて、次回は鹿児島の“みい”さんからのリクエスト「人間性と学歴??」でいきましょう。性格はいいけどあまり勉強しないわが子を心配する親心――このお題から、どんな話題になりますやら。