ちょっといい話

第194話 芳彦流お釈迦さまご一代

挿し絵 インド北部、シャカ国(日本で言えば千葉県くらいだったらしい)で一人の王子が誕生したのが、今から約2500年前。名前をゴータマ・シッダールタ、後のお釈迦さまである。
 残念ながら産みの親である母さん(マヤ)は、ゴータマを生んでからすぐに亡くなってしまった。それが原因かどうか、小さな頃から一人で何か考え事をすることが多かった子だったそうだ。

 物質的には何の不自由もない王子さまだったが、心の中はどこか満たされなかった。若い時には勉強し、そして結婚して、一児をもうけた。
 そして、ゴータマ29歳の時である。彼は王子という位を捨てて、出家してしまう。なんでも、お城の三つの門で、それぞれ老人、病人、死人と出合って世の無常を感じたらしいのだ。「人はだれでも、病気になり、年をとり、死んでいくものなのか。それだけの存在なのか……」
 そしてある日、もう一つの門で、出家者(修行者)と出合って、「私も家を出よう」と思ったそうだ。
 今で言えば、女房子供を置いて家を出るなど、ふざけた話だが、当時のインドでは「若い時勉強し、結婚し、子供をもうけ、出家して修行し、諸国を旅して一生を終える」というのが一つの理想的な生き方だとされていたらしい。
 老いも病も死も、自分のご都合通りにはならないことである。そのご都合通りにならないことに、人間は振り回され、苦しんでいる――この問題をどうクリアーすればいいのだろう――そんなことをお釈迦さまは考えていたようだ。
 ゴータマは当時、効果的だとされる修行を6年間した。山にこもって難行苦行。心(精神)の問題にくっきり焦点をあてるために、肉体の限界に挑戦してみる。その限界を越えたところに崇高な精神だけがポカンと現れるのを期待した。

 6年間でいろいろなことがわかったが、それ以上の悟りを得るためには、難行苦行ではダメなことに気がついた。――で、山を下りた。近くの川で苦行の垢を落して岸に上がると、近くの村の娘(スジャータ)が、彼の気高い姿に打たれて乳粥をくれた(供養した)。
 これで元気ハツラツ!となった彼は、涼しい木陰に座って誓った。
 「覚りが開けるまでここに座っていよう。ここで、瞑想していよう」
 座ること7日間、遂に豁然と覚りが開けた。時は12月8日、早朝のことだった。

 どんなことでも、ものでも、さまざまな条件が重なって今そこにあるのだ。条件が一つ加われば別の展開になる。世の中はそうなっていたのだ。その条件を自分で選べることもあれば、選べないこともある。老い、病、死は選べないことなのに自分のご都合をいれようとするから苦なのだ。ご都合へのこだわりは要らないのだ。あるがままでいいのだ。確かなことは、今生きているということなのだ。後のことは条件でドンドコ変わっていくのだ。その変わっていくことに、こちらが右往左往されないよう心を磨くのだ。――2500年程前の12月8日の出来事である。

 さて次回は、“みみなの父”さんからのリクエストにお応えして「自分の居場所」でいきましょう。自己存在の意味……とまではいかないまでも、楽しくまいりますぞ(たぶん)。