中国は唐の時代、衡陽に張鑑という人がいた。
その一人娘倩女(せいじょ:日本流にいえば「おせいさん」とでもいうか)は、なかなかの美人で、王宙と恋仲だった。
ところが、父親は、彼女を別の男と結婚させようとした。ために倩女は鬱病になり、王宙は恨んで都に行こうと決意して、故郷をあとにした。
しばらく行くと、倩女が追っかけてきて、
「あなたといっしょでなければ」
という。王宙はその心根をうれしく思い、二人は手に手をたずさえて遠く蜀の国におもむいた。
五年の歳月が流れて、子供が二人できた。
やがて、倩女は望郷の念やみがたく、王宙を説得して故郷の衡陽に帰ることになった。
王宙はまず一人で張鑑の家に行き、不幸を詫び、赦しを乞うた。
ところが、張鑑ケゲンな顔つきで、
「お前は倩女を連れ出したというが、倩女はお前が家出して以来ズーッと病気で、いまなお隣の部屋に寝ているよ」
と。
そういわれると王宙も何が何やらさっぱりわからなくなり、とにかく舟着場に残してきた倩女を連れてくるにかぎるとし、急いで引き返し、倩女を連れてきた。
すると、いまのいままで病臥していた倩女がイソイソと、隣の部屋から出てきて、瓜二つの倩女は互いに歩みよったかと思うとアッという間に一人になった。
これは唐代の伝奇小説『離魂記』の物語だが、それはさておき、唐が宋の時代になり、五祖法演というすぐれた禅僧があらわれた。
この禅師、あるとき弟子達を集めてこの話をしたのち、
「倩女離魂、那箇か是れ真底」(二人の倩女のどちらがほんものか)
という質問を発した。これが禅門で有名な『無門関』の第三十五則(章)に出てくる公案である。
禅では「正法に不思議なし」といって、摩訶不思議なことを嫌う。
では五祖法演禅師、なんでこんな奇妙な話を取り上げたのだろう。それはほかでもない。人間はよほど心を引き締めておかないと、倩女のように体までが分裂してしまうことはまずないにしても、心が分裂してしまい、しかもそれに気付かないでいる場合が、少なくないからである。
恋人を慕い、どこまでもついてゆく心と、親の許しがなくてはと家にとどまる心と、この二つの心のどちらがほんものかと問われると、どちらか一方がほんものだという答を出したくなるが、この公案の意図はそう簡単なものではない。
人間は右か左か、物か心か、家庭か仕事か、名をとるか実をとるか等々、常に相対分別にふりまわされている。そして、一方を捨てる安易さをいさぎよい生き方と考える人もあろう。
そうした相対分別、取捨選択を超えた絶対の世界、すなわち統一点に目覚めさせようというのが、五祖法演禅師の発問をねらいであろう。
「仏道をならふといふは自己をならふなり」
この場合、倩女の問題ではあるが、どちらの倩女がほんものかと決着をつけるのではなく、倩女を自分自身として、主体的にとらえてみることが肝要である。
那箇是真底(なこかこれしんてい):那箇とは、あれ、これ、のこと。また、二つ以上の事物に対して、そのいづれか一方を選ぼうとするときに用いる疑問代名詞。どれ、どちらのもの。真底は心の奥底、心底に同じ。