佐藤俊明のちょっといい話

第14話 地底から湧出せる菩薩たち

地底から湧出せる菩薩たち 挿絵

 昨年(平成7年)は乙亥、五黄土星中宮の年で、昔からこの年には震災や動乱、戦争などが起こるといわれている。思えば関東大震災(大正12年)も同じ年まわりである。

 1月17日の阪神大震災では6308人(平成8年12月27日現在では、6425人の死亡が確認されています。)の方々が尊い命を失い、大勢の方々が怪我をし、家屋や財産を焼失し、いまなお不自由な生活を余儀なくされており、まことに気の毒に耐えないところだが、この大震災において、かつて見ることもできなかった人間の美しい助け合いの姿、尊い利他行、ボランティア活動がきわめて大がかりに、しかも忽然として展開されたことは誰しも予想しなかった素晴らしいことであり、ボランティア元年という言葉が生まれたのもそのためである。
 誰に頼まれたわけでもないのに手弁当で駆けつけ、被災者の救援から被災生活の世話、情報の提供から復興への手助けにいたるまで、なんら報酬や代償を求めることなく献身的に活動され、その延べ人員は100万人を超したという。
 そしてそれらの人々の多くは、無気力・無感動・無関心の標本のようにみられていた青年層だっただけに、世間はあっと目を見開いたのであった。

 前々から、日本になぜボランティア活動が育たないのだろう、何とかして育ってほしいものだと願っていた私は、わが意を得たりと思うとともに、ふと、『法華経』のことを思い出した。

 『法華経』はまことに壮大なスケールで、しかもドラマチックに構成されているお経だが、第十五章の「従地涌出品」(じゅうぢゆじゅっぽん)には、その題名どおり、大地が震動して裂け、地の底から大勢の菩薩が湧き出るように出現してきたことが描かれている。
 その様子を見ておどろいたお釈迦さまの弟子たちを代表して、弥勒菩薩が

「これらの菩薩はいったい何処から、何のために出現したのですか」

と訊ねた。
するとお釈迦さまは、

「彼らは、この娑婆世界の下の虚空の中に住んでいる人たちで、みな私のもともとの弟子たちであり、私の教化救済活動の手助けをするために出現したのだ」

と答えられたのだが、大地が震動して裂けたというのはまさに大地震のことであり、娑婆世界の下の虚空の中から大勢の菩薩が湧き出るように現れたということは、大勢のボランティアが忽然として現れたことを意味するように思えてならない。
 娑婆世界とは現実社会のことであり、そこに住んでいる私どもは平生自己中心の生活をしている。その自分本位の生活をしている私どもの表面意識の下には潜在意識があり、潜在意識には私どもが生まれる以前からの過去の経験や知識がうず高く貯蔵されており、平生は表面意識にのぼることはないのだが、何か突発的な大きな出来事に遭遇すると、それに触発されて忽然として表面意識に噴出するのである。

 仏教の教えが私どもの潜在意識に蓄積されていることは、疑う余地のないことであり、その教えの実践的徳目が利他の菩薩行なので、ボランティア活動とは当然結びつくことである。
 私は、二千年前の蓮の種子が発芽して、今日美しい花を咲かせているよろこびを感じ、利他行に精進する心がけを新にしている。

忘己利多は慈悲之極(もうこりたはじひのきわみなり):「己を忘れ、他を利するは慈悲の極みなり」伝教大師最澄の言葉。「悪事を己に向かえ、好事を他に与え」に続く。

前の法話
佐藤俊明のちょっといい話 法話一覧に戻る
法話図書館トップに戻る