佐藤俊明のちょっといい話

第27話 晴れてよし 曇ってもよし

晴れてよし 曇ってもよし  挿絵
 いつも三月、花のころ。女房十八、わたしゃはたち。子供三人親孝行。
使って減らない金百両。死んでも命があるように。

 このようになれば、まさに「日々是好日(にちにちこれこうじつ)」だが「月にむら雲、花に風」で、何事も思うにまかせぬのがこの世の常である。
 そこで日々是好日は誰しもが望むところとなるのだが、ままにならぬその日その日を意のままに過ごすことは、実に至難のことである。

 昔、京都は南禅寺の門前に毎日泣いて暮らしている老婆がおった。わけを訊ねると、
「私には二人の息子がおり、一人は雪駄(せった:竹皮草履の裏に牛皮を張りつけつたもの、千利休の創意になる)屋、いま一人は傘屋。今日のように天気がよいと、傘屋の息子が売れなくて困ってるんだろうと思うと、泣かずにはおれません。雨が降れば降ったで雪駄屋の伜が困ってるだろうと、それを思うとひとりでに泣けてくるのです」
という。
 それを聞いた南禅寺の和尚さんが、「婆さん、そりゃー考えが逆だよ。天気の日には雪駄屋の伜のことを思い、雨の日には傘屋の息子のことを考えるんじゃよ」と教えた。それを聞いて180度思考を転換した婆さん、爾来ニコニコ顔で暮らしたという笑話があるが、日々是好日とはそんな他愛もないことではないのである。

 愛別離苦=最愛の者との離別の日もあろうし、怨憎会苦=怨み憎む者と顔つき合わせねばならぬ嫌な日もあろう。求不得苦=欲しくてたまらぬ物がどうしても手に入らない失意の日もあれば、五蘊盛苦=押さえ難い欲情との烈しい戦いの日もあろう。さらには、地震・雷・火事・エトセトラ。そうしたありとあらゆる苦難の日々を、なおかつ日々是好日として送り迎えすることは、よほど心を鍛えなくては到底なし得ることはできない。

 暦には大安だの仏滅だの、日によっての吉凶が記されているが、それは客観的に確定したものではない。徳川家康が天下分け目の関ヶ原合戦の際、「殿の運勢はただ今は西がふさがり、悪運がめぐり合わせておりますから、今日のご出陣はお取り止めを!」と家来が進言すると、家康は「愚か者め、西に方がふさがってるなら、この家康が進軍して開いてやる!」と一喝し、風のごとく進撃して大勝利を博したことは有名な話である。
 仏滅でも八方塞がりでも、その日その日が最上最高の、かけがえのない一日であり、それを使いこなすところに真実の生き方がある、と教えるのが「日々是好日」である。

 「日々是好日」、これは中国の禅宗「雲門宗」の始祖、雲門禅師が弟子たちに向かって、自問自答の形で自らの生き方を示した言葉で、周囲の動きに一喜一憂することのない確乎たる境涯を吐露したものである。

晴れてよし 曇りてもよし 富士の山
  もとの姿は 変らざりけり   (山岡鉄舟)

八風吹不動:八風とは、利・衰・毀(かげでそしる)・誉(かげでほめる)・称(面前でほめる)・譏(面前でそしる)・苦・楽の事だが、他にも心に同様を与えるものを含め、どんなことにもビクともしない心境を「八風吹けど動ぜず」といい、そこに「日々是好日」が現成する。(竹筆の書)

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