佐藤俊明のちょっといい話

第28話 心機投合

心機投合  挿絵

 親鳥が卵を抱いて二十一日、孵化の時機が到来して、卵の中の雛鳥が殻を破ってまさに生まれ出ようとする時、卵の殻を内側からつつく。
 これを「啐」という。
 ちょうどその時、親鳥が外から同一点をつつく。
 これを「啄」という。
 この「機を得て、両者相応ずる得がたい好機」を「啐啄同時」または「啐啄の迅機」というのである。
 親鳥の啄が一瞬でもあやまると、中の雛のいのちがあぶない。早くてもいけない、遅くてもいけない、場所がズレてもいけない。まことに大事な、それだけに危険な一瞬であり、一点である。

 禅家で、師僧が弟子に法灯を伝えるときは、師僧と弟子の力量や意気が相合して、間に髪を容れる隙間もない「啐啄の迅機」が到来したその時である。

 これは何も禅家に限ったわけではない。
 だいぶ前のことで恐縮だが、ある会合でこの話をして、

「教育とは、このように親の指導性と子供の自発性がマッチした時はじめて効果を挙げるものです」

と言ったところ、うしろの方で私語がはじまったので、

「なんですか?」

ときいたら、

 「このごろの雛は孵卵機から生まれますので、啐啄同時はないですね」

というものでした。そこで私は、

 「そうです。だから、あなたがたの中には、一日待てば子供がひとりでに覚えることを、いま教えなくてはと、りきんで無駄骨を折ったり、そうかと思うと、教えなくてはならない大事な時機をのがして、手遅れになり困ってる人がいるんです。子供の教育は、その心身の成長発達の段階に応じて適時適切に、おこなわれなくてはむしろ有害でもあります」

といったのですが、子供の教育に限らず、夫婦間においても交友関係においても、またビジネスの面においても「啐啄の迅機」をとらえる眼を具え、「啐啄同時」の実践を心すべきであろう。

啐啄同時:修行者が殻中に在って啐すると、指導者が殻外に在って啄すると機宜相投合して髪を容るるの隙間なきを示す語。「啐啄の迅機」ともいう。

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