佐藤俊明のちょっといい話

第30話 縁を大切に

縁を大切に  挿絵

 もっともポピュラーなお経、『般若心経』というと、「色即是空」を連想する人が多いかと思う。
 ここにいう「色」とは、色欲とか色情のことではなく、存在するものすべてのことなので、「色即是空」とは、あらゆる物はすべて空だというのである。とはいっても空々漠々として何もないというのでなく、すべては因縁によって生じ、因縁によって滅するので、不変の実体がないということなのである。

 この世のあらゆる存在は、因(原因)と縁(それを助ける条件、第二原因)がかけ合わさって生ずるので、すべては相依相関、何一つとして孤立無縁のものはないのである。したがって、一つの物の動きも、一人の人間のおこないも、その影響は、あたかも静かな池の水面に石を投げ入れると波紋が池全体にひろがってゆくように、無限にひろがってゆくのである。

 よく「縁起がいい」とか「縁起がわるい」とかいうが、縁起とは文字どおり因縁によって起こることで、よい因縁をつくればよい結果が生まれ、わるい因縁を結べばわるい結果が起こるのであって、縁起をかつぐだけでは縁起はよくならない。
 だから、自らのおこないをよくし、周囲によい縁を結び、縁を最大限に活かすよう心がけるべきである。
 このごろテレビの時代劇に柳生一族がよく登場しているが、柳生家の家訓に、

   小才は縁に出会って縁に気づかず、
   中才は縁に気づいて縁を生かさず、
   大才は袖すり合う縁をも生かす。

と、あるそうだが、縁に出会ってもそれに気づかなかったり、気づいてもそれを活かせなかったりしたのでは、縁起のよくなるはずがない。

   風に来て つららにさがる 楓かな

という句があるが、何もわざわざ冷たい氷柱にくっつかなくてもよさそうなものだが、そこが「縁は異なもの、味なもの」で、まことに不似合いの夫婦が「くされ縁」といいながらも、それなりに結ばれている姿はよく見受けるところがある。
 また「つまずく石も縁のはし」で、大喧嘩をしたのがもとで無二の親友になることもあれば、さらには「袖すり合うも他生の縁」で、ホンのちょっとした出会いも、他生(過去世)の縁にもよおされたものと受け止めて、縁を大切にする。

 平地の寺にもみな山号がある。
 芝の増上寺の山号は三縁山。三縁とは、親縁・近縁(ごんえん)・増上縁で、本来の意味は、念仏する者が仏から受ける三種の特別の利益のことなのだが、これを人間相互の利益に置き換えてみると、たとえば保険勧誘の業務に携わる場合は、まずは親類縁者にはたらきかけて協力を求めるであろう。これが親縁。
 しかし、親縁だけではビジネスのエリアが限られており、発展性がない。そこで親縁を土台にして近隣にビジネスの輪を拡大してゆく。これが近縁。
 そして、この二つの縁を核として、利益の輪をさらに拡大して増上縁にまで高めてゆく。こうして三縁を結んでこそ経営は安泰なものとなるであろう。

心随前縁移 縁与物共新(心は前縁に随って移り、縁は物とともに新たなり):「心」は現前する縁(環境)についれて刻々に移り、「縁」は周囲の動きとともに絶えず新しくなりつづける。(良寛)

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