佐藤俊明のちょっといい話

第35話 千手観音

千手観音  挿絵

 昔、奈良の興福寺に実際に手が千本ある観音像があって、徳川時代、その珍しい観音様を江戸に運んでご開帳すると、大勢のお詣りがあったという。
 参拝者の中に駄洒落をいう人があって、「なるほど、これは沢山手がありますなァ。千本あるに違いねぇ。それにしても足が2本じゃ釣り合いがとれませんなァ」といった。
 すると一休さんのように頓智のいい説明役の小僧さんが、「そう、そのお足がたらんのでこうして江戸までいただきに参りました」と答えたという話があるが、それはさておき、澤庵和尚が柳生但馬守宗矩に与えたものに『不動智神願録』という本がある。

 これは将軍家の剣の指南番としての柳生宗矩が絶対に負けることのできない試合に臨むに際して、その心構えを訊ねたのに答えたものだが、その中で、千手観音に手が千本あるのは何を教える姿なのか。
それは、一つの手に心を駐めたら999本の手はみな役に立たなくなる。どの手にも心を駐めないからこそ千本がみな役に立つことを人々に示そうとして作られ姿であって、そのことを得心した人はすなわち千手観音にほかならない、と教え、それをふえんして、「向こうへも、右へも、左へも、四方八方へ心は動きたきよう動きながら、そっとも止まらぬを不動智と申し候」といっている。

 まことにわかりよい説明だが、これを体で納得することは容易なことではない。

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