佐藤俊明のちょっといい話

第40話 知と行(知識と実践)

知と行(知識と実践)  挿絵

 ロバが道端の草を食べようとして、右側に足を運ぶと左の方がうまそうに見え、左の路肩の草を食べようとすると右の方がよさそうに思われ、右せんか左せんか、迷いに迷って食べることができず、ついに餓死してしまったというロバの物語があるが、これは愚かなロバの話ではなく、実は賢い人間のことなのである。

 知性を持たないロバは、自分の行為とその行為の結果の優劣を推し測ることはできないので、右でも左でも手当たり次第に食べて満足すれば眠るだけのこと。
 ところが知性をもった人間の場合はそう簡単にはいかない。目的を達するためにはどの道を進んだらよいのか。右か左か。途中で遭遇するであろう危険や障害、ハプニングなどを考慮に入れると果たしてどの道を進んだらよいのか、なかなか決断がつかず、ハタとして当惑して動きがとれなくなるものである。

 人間が知性のゆえに実戦力を失ったとき、一歩前進するにはどうするか。それは、知性を乗り越えた先哲の教えに随順することである。親鸞聖人は「歎異抄」のなかで、念仏して果たして極楽にいけるのか、地獄に堕ちるのかわからない。ただよき人の仰に随うのみで、たとえ地獄に堕ちても後悔しない、といっている。

 念仏して極楽往生できるのか、逆に地獄行きになるのか、それは「総じても存知」せずだが、ただただよき人法然上人の教えに随うのみだというこの確信を持つことが、知性のゆえに失われた実戦力を取り戻す決めてである。

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