佐藤俊明のちょっといい話

第47話 鈍の徳

鈍の徳  挿絵

 辞書をみると、鈍とは切れ味の悪いこと、にぶい、のろい、とがっていないなどとあり、あまりいい意味には使われないが、実はこの鈍、社会生活には大事な要素がある。
 クルマの運転でも、鋭角に曲がるには大変だが、鈍角は初心者でも失敗なしに曲がれる。
 同じように神経敏感な人とつき合うにはこちらもピリピリしなくてはならないが、逆に小事にこだわらないおっとりした人とのつきあいはいたって気軽にできる。

 したがって、誰とでも気軽につきあってもらえる鈍な人、修養によって角のとれた人はおのずから打ちとけた交際範囲も広くなり、それだけ入手する情報の量も多くなり、人格内容も豊かになってくる。
 だんだん角がとれて円満な人格になる。それが修養だとしても、多角形から角をとったらどうなる? 角をとれば丸くはなるが面積はそれだけ小さくなる。
 角がとれて人格内容が小さくなるんでは意味がない。

 人格内容を豊かにし、しかも角をなくするにはどうするか。
 それは、三角形を五角形に、五角形を八角形にというふうに角をとってしまうのではなく、角を増やしていくことだ。そうしてこれを外接する円にまで近づけていくのである。
 多角形の角をとって内接する円になるのではなく、多角形に外接する円になるまで角を限りなく鈍化していくのである。これが鈍の徳で、角のとがった人より円に近い鈍角の人のほうがそれだけ練られており、したがって仕合わせにあり成功する率も大きいことになる。

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