佐藤俊明のちょっといい話

第55話 神仏と共に在る心を育てる

神仏と共に在る心を育てる 挿絵

 「三つ児の魂百まで」といい、幼稚園から小学校時代にかけて、人間の魂の方向、性格ができあがるといわれる。だからこの時期に、神や仏という絶対者と共に在るという確信を持たせることが大切なのだが、無宗教教育に育てられた日本人にはそれが分かっていない。

 海外勤務の商社マン夫妻が、子供の誕生日に現地のお友達を招き食事を出し、食後にコーヒーを出したが、誰もコーヒーを飲まない。坊やに再度勧めたら、「子供はコーヒーを飲んではいけないとママが言うから」という。日本の母親はついうかつにも「でも今日はママがおられませんから」というと、子供たちは「神様が見ておられる」と答えたという。

 「誰が見てなくても神様が見ておられる。」

 これは悪事に対する強い抑止力であり、また、神仏と共に在る確信は揺るぎない安定感の土台である。だから、どこの国でも宗教を基盤にして子供を育てるのである。

 また、初対面のとき、「あなたの宗教は?」とたずねる。これは、相手の宗教を尊重するとともに、その宗教のタブーに触れまい、犯すまいとする、配慮であるとともに、宗教を持たないものは信じるに足りないとする警戒から生まれたものであるが、島国育ちの、世間知らずの日本人の中には、無宗教を唱えることをいかにもインテリであるかのように錯覚しているものが多い。これでは、信用されないこと必至。

 いや、インテリにこそ宗教は必要なものであり、大切なものであることを知らない所に、カルトブームが醸成される土壌がある。

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