佐藤俊明のちょっといい話

第58話 懺悔

懺悔 挿絵

 どんな宗教でも懺悔のない宗教はない。私たちは知らず識らずのうちに無量の罪をつくっている。それを懺悔して洗い清めなければ神や仏の心に目覚めることはできない。
「私は罪などつくったことがないから、懺悔する必要はない」
という人がいるかもしれないが、ひと口に罪といっても軽重多様で、刑法に触れるばかりが罪ではなく、宗教的に考えれば神の心、仏の心から離れた生活を送ることがすでに立派な罪なのである。
 したがって、自分は罪などつくっていないという人は、宗教的にみれば無自覚も甚しいといわざるを得ないのである。

「松影の 暗きは月の 光かな」

 月の夜、松が地上に影を落としている。
 天空に一点の雲もない夜ならば、明月こうこうとして松影は黒々としてあざやかであろう。
春のおぼろ月夜なら松影もぼんやりしていることである。
 仏の慈悲に照らされて、心の月がこうこうと光を放てば、誰しもが己が身の汚れに気づくことであろう。

「法しばらく凡夫を縁ずるのみなり」

 凡夫の姿は一時的なもので、本来は法そのもの、仏そのものなのである。そこで修行力によって、しばらく煩悩や凡夫と縁を切ることが大切で、それがためにはまず懺悔が必要なのである。
 人間が懺悔の心を起こすのは、人間が本来、仏だからである。もともと凡夫なら懺悔の念は起こらない。仏心のあらわれが懺悔である。

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