佐藤俊明のちょっといい話

第59話 宗教なき教育は賢い鬼をつくる

宗教なき教育は賢い鬼をつくる 挿絵

 明治五年の学制発布以来、宗教は教育のラチ外に押しのけられ、爾来日本国民は公教育の場では無宗教教育に育てられた。
 しかし教育の基盤に、宗教がいかに大切なものであるか、それはいみじくも聖徳太子が十七条憲法の第二条に明確に述べておられる。

 篤く三宝を敬え。
三宝とは仏法僧なり。即ち四生の終帰、万国の極宗なり。何れの世、何れの人か是の法を貴ばざる。人尤も悪なるは鮮し、能く教うれば之に従う。それ三宝に帰せずへば何を以てか枉れるを直くせん。

 多少かみ砕いていうと、仏法僧の三宝を篤く敬わなくてはならぬ。なぜなら三宝は生きとし生けるものの最後の拠所であり、世界各国が究極の規範として仰ぐべきものである。だから時と所を問わず何人もこれを尊ばなくてはならぬ。
 生まれながらの悪人などはごく稀なものであって、よく教育すれば従うものである。
 教育しても曲がってしまうのはどうしてか。
 それは教育の根底に三宝を敬う心が欠けているからである。
 三宝を敬う心を根底としないで、どうしてまともな人間をつくることができようか、というのであるが、三宝帰依の心とは仏教以外の宗教でいえば神を敬う心のことであり、つまり宗教心のことである。

 西洋の諺に「宗教なき教育は賢い鬼をつくる」とあるが、賢い鬼は社会を破壊することはできても、社会を建設することはできない。
 まともな社会をつくるためには、賢い鬼をつくらぬよう務めなくてはならなぬ。

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