佐藤俊明のちょっといい話

第62話 慈悲なきに似たれども

慈悲なきに似たれども 挿絵

 平安中期の天台宗の高僧源信は比叡山の彗心院に住んでいたので彗心僧都といわれた。

 或る日、寺の境内に一頭の鹿が迷い込んできた。
 それを見た彗心僧都は、
「あそこに鹿が入ってきた。早く追い出せ!」
と、言葉荒々しく弟子たちを督励し、自らも杖をふりかざして鹿をおいまわした。
 弟子たちは驚きあやぶみ、
「平生あんなにやさしい、慈悲深いお上人さま、今日はいったいどうしたことなのだろう。何かお気に障ったことでもあったんだろうか?」
と、眉をひそめてささやきあった。

 それを小耳にはさんだ彗心僧都は、弟子たちを論して言った。
「わしは、鹿を人に慣れさせまいと思って追い出したのじゃ。
鹿が人に慣れて度々里に出てくるようになれば、やがては人に命をとられてしまうであろう。
それがふびんなので追いはらったのじゃ」

 弟子たちは、彗心僧都のこの言葉を聞いて、上人の心を疑ったことを深く恥入るとともに、上人の鹿に対する愛情の深さを敬服した。

 これ鹿を打ち追ふは、慈悲なきに 似たれども、
   内心は慈悲の深き道理 かくの如し

 親牛が仔牛を舐めずりまわすような愛情ではなく、相手の真の仕合わせとは何かということを、考えられる限りのさきのさきまで考えた上での愛情でなくてはならず、愛情に知情のはたらきが不可欠のゆえんである。

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