佐藤俊明のちょっといい話

第66話 泥中の蓮華

泥中の蓮華 挿絵

 西郷隆盛の座禅の師である無三(むさん)和尚は、藩主島津侯の菩提所福昌寺の住職に迎えられた。
 晋山式(しんさんしき)といって住職就任のとき、無三和尚は型のごとく須弥担上(しゅみだんじょう)にのぼって香を焚き、いよいよ雲水たちとの大問答がはじまった。
 すると藩主の島津侯、みずから本堂のまん中に進み出て、大声一番、

「如何なるか これ久志良(くしら)の土百姓」

と、問いかけた。
 藩主とはいえ、いかにも人をばかにした質問だが、これは、薩摩の風習として、農夫を軽んじ、士族でなければ出家を許さなかったのだが、無三和尚は久志良村の農家の出身だったので、士族の苗字を借りて出家したのだった。
 それだけに無三和尚の破格の出世をねたましく思った人が、無三和尚を満座の中ではずかしめようと企てて、ひそかに藩主をそそのかして謀ごとだったのである。
 しかし、無三和尚、いっこうに動ぜず、従容として、顔にえみを浮かべて、

「泥中の蓮華」

と答えた。
 蓮華が泥の中から出て、泥に汚されず、美しく清らかな花を咲かせるように、自分は泥田に生きる農夫出身だが、修行の結果、ごらんのように無垢清浄の花となることができた、と確信に満ちた無三和尚の答えに、島津侯、返す言葉もなく、いよいよその教えに感じ、深く帰依したという。

   “泥多ければ 仏大なり”

泥中の蓮華こそ尊いのである。

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