佐藤俊明のちょっといい話

第67話 放生

放生 挿絵

 東京新橋で仏書を出版販売している鴻盟社の先々代の主人となるべき人が今村延雄といって十三才で夭折(ようせつ)したが、死の一週間前、
「お母さん、私はとても助かりません。親不幸を許して下さい。」といい、
「お母さん、泥鰌を買ってきて下さい。放生したいのです。私は今度生まれてくる時は丈夫で長生きしたい。それには生きものの命を助けること放生する事が一番功徳があると聞きました。私に今生の終わりに功徳を積ませて下さい」という。

 子供とは思えないわが児の言葉を聞いて母親は早速、泥鰌を求め、菩提寺で供養してもらって川に流し、家に帰ってみると延雄少年は布団の上にすわり、合掌しており、
「お母さん有り難う。お母さんが私に変わって放生してくれましたので、私はここから一心に仏様を念じておりました」という。

 そして、一週間後に亡くなったのだが、あの児がどうして放生を知っているのだろうと、ようやく思いだしたのは、延雄少年が七つの時、上野不忍池で行われた放生会に連れていったことがあった。
 当時の高僧や居士がたが延壽会という会を作り、月に一度いろんな魚を持参し弁天様で供養を営み、不忍池に放生されたのであった。その時、子供ながら有り難いと思ったのであろう。それが死の間際に表面意識に現れ、放生の功徳となったのであった。

 タイでは放生は日常茶飯事の間に行われているが、日本で忘れ去られているのはいかにも残念なことである。

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