佐藤俊明のちょっといい話

第71話 己心の弥陀

己心の弥陀 挿絵

 極楽浄土は西方十万億土のはるか彼方に、と教える浄土門のなかにも、その極楽浄土を自らの心の中に引張り込んだ「己心の弥陀」「己心の浄土」が説かれている。

「己心の弥陀」を判り易く説示した話がある。
 四万年ほど前、仙台に損翁宗益という臨済宗の老師がおった。
その老師のところへ浄土宗の和尚が参拝に来ていた。
損翁老師は、
「あんたの宗旨では、念仏を申すと阿弥陀さんが迎えに来てくれるというが、ほんとうか?」
と訊ねた。
浄土宗の和尚答えて曰く、
「それはほんとうのことです」と。
「そうすると何かな。一人や二人なら神通力で飛びまわればいいが、九州の果てから奥州の果てまで、流行病でもはやって何百人、何千人という人が一時に死んだら、いくら阿弥陀さんでも忙しくて手がまわらぬだろう。そのときはどうするのか?」
と、損翁老師が訊ねると、
「それはわかりません」という。
 そこで損翁老師、
「そこが大事なところだ。阿弥陀さんが飛びまわるのでは忙しくて仕方がない。空にお月さんがある。このお月さんは水のあるところならば奥州であろうと九州であろうと、中国であろうと四国であろうと、どこの海にもどこの小便桶にも同じように映る。それを『法界蔵身阿弥陀仏』というて、向こうに阿弥陀さんがおるのではなく、こちらの信心の中に阿弥陀さんが映るから、念仏往生ではなく、念仏を申すところに時空を超えて阿弥陀さんが迎えにみえるのは当然のことではないか」
と、懇切に説かれたという。

前の法話
佐藤俊明のちょっといい話 法話一覧に戻る
法話図書館トップに戻る