佐藤俊明のちょっといい話

第80話 いずれそのうち

いずれそのうち 挿絵

「祇園精舎の鐘の声、諸行無常の響きあり」

で、人生の無常迅速、人の命は草葉に宿る露にたとえられる。
釈尊はじめ、高僧名僧が出家されたのはみな無常観がもとである。
 人は無常観によってはじめて永遠を思慕する切なる要求を実感するのである。

 ところが私たちは実にのんびりしたもので、今日はやらねばならぬことを今日中にしない。
年内に処理しなくてはならぬことを、その年のうちにせずに、いい加減に過ごしている。

 そういう怠け者にふさわしい言葉は沢山ある。たとえば、「いずれそのうち」などもその一つで、

「随分ごぶさたしました。いずれそのうちお伺いします」

などというが、二、三日後のことなのか、三年さきのことなのか実にあいまいでつかみどころがない。

 こういう便利な言葉を使って、今日中になすべきことを今日中にせず、いずれそのうち、いずれそのうちと、伸ばし伸ばして物事をあいまいにし、いずれそのうちに死んでしまう。

 死刑囚は、あと幾日もない残された命に深い思いを致し、残されたこの世での寿命をいかに有意義に使うかに実に真剣であるという。
 もう幾日、あと何時間しかない命ときまれば、それほど真剣になるのである。
 この人生がもともと無常なものであれば、このように緊迫感をもって、平生のひとときに臨むべきであろう。

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