佐藤俊明のちょっといい話

第83話 施食の心

施食の心 挿絵

「盂蘭盆似而会施餓鬼」

などという言葉もあるように、お盆の月には、寺々で施食法要がよくおこなわれる。
 お盆は、父母祖先に対する孝順供養を教えるものであり、施食は無縁の精霊に供養する慈悲行の大事なことを教えるものである。

 古代インドでは祖先の霊は子孫が食べ物を供えてくれることを待ち望んでいると考えていた。
 この観念が仏教に取り入れられ飢えて食べ物を待っている死者の霊に食べ物を供養する施食がおこなわれてきた。

 ところで霊のことを中国語で鬼というので、飢えた霊が餓鬼と訳された。
鬼という字自体日本人にはいい感じを与えないが、餓鬼となるといかにも響きが悪い。
子供のことを餓鬼などというが、これはいくら食べても満足するところがないからであろう。
 だから貧欲でいつもイライラ、ガツガツしている人のことを「まるで餓鬼だ」などと、地獄・餓鬼・畜生の三悪道の一つと見ている。
 そんなわけで施餓鬼というと、

「うちの先祖を餓鬼だというのか」

などと、抗議する人もある。
 そこで施食に改称されたわけだが、名称が変わっても、有縁無縁、三界の万霊に供養する法要の内容が変わったわけではない。

 すでに子孫が断えて供養してもらえない無縁の精霊はおびただしい数であろう。
 父母祖先に対すると共にそれらの精霊に供養することは人間として奥床しいことであり、この供養の心があってこそ慈悲行も充実してくる。

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