佐藤俊明のちょっといい話

第85話 水と氷の如くにて

水と氷の如くにて 挿絵

 昆虫は卵から幼虫になり、幼虫が蛹になり、蛹が成虫になり、成虫が卵を生み、その卵が幼虫になるというふうに姿を全く変えております。
つまり完全変態しております。
だから蛹の一生を取り出してみると、幼虫から生まれ変わり、死んで成虫になるというように、その一生には生あり死ありですが、昆虫の生命そのものは不断に連続し存続しているのであります。

 私どもの命も、現象の上からすれば誕生から死亡まで精々七・八十年の命ですが、この世を仮りの世といいますように、この世の生命は宇宙の大生命の一つのあらわれ、循環の一コマに過ぎないのであります。
 ただ私どもには蛹の姿からその前の姿幼虫と、その後の姿成虫が全く変ったものであるように、自らの生命、死後の姿が想像されないだけのことであります。

 さて、この宇宙の大生命を仏といいますが、白隠禅師の「坐禅和讃」に

「衆生本来仏なり、水と氷の如くにて、水を離れて氷なく、衆生のほかに仏なり」

とあります。
 水と氷は同じく水素と酸素の化合物であります。
 しかし水は液体、氷は固体、0度以下の低温のままにしておくと、氷はいつまでも氷で水にはなりません。
同じように苦しみ悩みの多いこの人生も実は本来仏の御いのちなのですが、欲にこり固まっていたのでは、仏の御いのちをわがものとすることはできません。
 仏道修行に命の炎を燃やしてこそ、仏の御いのち、永遠の大生命がはあくされるのであります。

前の法話
佐藤俊明のちょっといい話 法話一覧に戻る
法話図書館トップに戻る