菅野秀浩のちょっといい話

第1話 おもいやりⅠ

おもいやりⅠ 挿絵

 私は八人兄姉の末っ子である。過日、老境著しい兄姉と揃って温泉旅行に出かけた。

 興に乗り「何がしたかった?」の問いに、間を置かず、異口同音に「一人暮らしッ」の答えがかえってきた。

 そういえば、朝から晩まで、夜さえ一人ではなかった。日常茶飯事の通り、「ご飯よッ」の声に、素早くお膳に就く事から始まり、遊びも、おふろも一緒、夜も布団に二人ずつ納まって寝た。テレビだって一緒に観たから、チャンネル争いなんて、その頃の社会問題も誘発した。

 見事に、一日中、一年中みんな一緒の生活の中で育った。

 それは私の家だけの事情かというと、そうではない。日本国中が当たり前の生活様式であって、貧しいとか、悲惨という問題ではなく、ごく普通の環境がこれであった。

 この常に皆一緒の生活は、実は重要な心を育む精神道場であった気がしてならない。

 一緒ということは、自分の事だけを考えるのではなく、我慢もするし、相手にも優しい心も配る。ここに、他を思い、通い合う、いたわりの気配りの心が培われるのだ。

 古人や先輩は、生活が貧しくとも、不自由でも、見事に毎日の生活の中に「共生」をさせ、こころの修養を育ませて来た。

 新世紀は、無意識の気配りや、いたわり、「おもいやり」を、再度根付かせて、生かし生かされ生きたいものである。

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